再見「ロングランエッセイ」の+と-
69:「 室生寺 奥の院 」 住宅雑誌リプラン84号(2009年5月26日)より一部転載
室生寺には、四十年ほど前に団体で訪れているが、小ぶりで美しい五重塔を見て、そそくさと帰っていた。今回は、しっかりと奥の院まで行ったが、その階段がすごかった。
台風の被害にあって修復された五重塔の脇を抜けて、たどり着いた奥の院へ向かう石積みの階段はむちゃくちゃ急で、四百段近くもあるので、見上げるようである。エスカレーターの角度よりはるかにきつく、幾度も息が切れて立ち停まる。千年を超える樹木の元で、ひと休みしては上を目指すが、お堂の足元の柱組みは、まだ遠い。しかし、室生寺では、この奥の院への階段こそ、大事である。五重塔や本堂や弥勒堂も森の中にひっそりとあって優しい雰囲気だが、奥の院までの階段を体感して、ここが厳しい修行の場所であることがわかる。
一時間おきにしか来ない帰りのバスを待つ間、バスの中でも、階段に挑戦した人は、声高に足腰や息切れの話をしながらも、その表情に達成感がある。室生寺の四季を撮った写真は大変美しく、紅葉や雪の室生寺を訪れたいと思わせるが、奥の院への階段の体験こそ重要だと思った。
+: 10年ほど前に、ルイス・バラガンの住宅を見学する仲間とメキシコに行った。彼の造った、小さな住宅の緊張感のある空間は、やはり決められた寸法の厳しさを感じた。私は、メキシコでインカの遺跡に興味があったので、メキシコシテイの近くにある、テイオテイテイ・ワカンに行きたいとわがままを言って出かけた。太陽神を崇めるインカの人達は、エジプトのような巨大な祭壇を造って、頂上に登らせようとしていたが、一段一段が高い上に強い陽射しもあったので、仲間たちが登るの見ているだけだった。室生寺の奥の院へ向かう長い階段に挑戦するような気は起きなかった。高い樹に守られて、陰もあって途中で休むこともできる階段と違って、石と陽射しだけの祭壇を登るのは、よほど、太陽を崇めていなくては登れないと思った。
私は、太陽のおかげで育った樹木や生物などの豊かさに感謝したいと思ったと同時に、生贄文化を持つ一神教の怖さも感じた。