再見「ロングランエッセイ」の+と-

56:「 合掌造り 」  住宅雑誌リプラン71号(2006年1月1日)より一部転載

 白川郷の合掌造りを見たいと思っていた。合掌造りとは、手を合わせてから、手元を少し広げた形のことを言うが、その大きな屋根の萱を葺き替えるために、たくさんの村人が急傾斜の屋根に、へばりつくように作業している写真が印象に強く残っていたのである。バスが、小雨降る山道を進むなか、その特徴的な集落は山奥に忽然と現れ、それまで街道筋で見かけた古い街並みの風景と異なり、これまで一度も見たことのない風景だった。内地では見ない散居型の集落で、北海道の酪農村で見かける居住形式である。木曽の山奥の雪も深く、寒さも厳しいけれども、そのなかに凛と立ち尽くす姿に驚き、感動した。冬は深い雪に埋まりながらも、厳しい寒さのなかでも堂々と対峙している姿を思い浮かべた。そのもっとも雪の深い時にこそ、もう一度来なければいけないと思った。
 厳しい環境のなかで、ここに住む人たちをしっかり守っているように見えた。それも、ひとつではなく林立する合掌造りの家がまとまって、住む人たちを守っているように思えた。そこには、ひとつの集落としての一体感が生まれていて、集落全体が頼もしく思えた。こんなに強く頼りになるふるさとは、他にあるのだろうか。

+: この白川郷の景色は、ふるさと(故郷)という言葉が、ピッタリである。合掌造りが建ち並ぶ、山に囲まれた一帯が、さまざまな文化や歴史の煮詰まった風景を造りだしている。白川郷を見下ろせる見晴台から集落を眺めると、作り込まれたジオラマのように見え、誰が撮っても、文化と歴史を背景に持った素晴らしい写真になるに違いない。
 六十年前の春に札幌に来た朝、郊外に広がる真っ白な雪の広がりのなかに、赤や青の三角屋根の家が、ひと塊りになって見えた時、現実感のない映像の世界のように感じ、それまで暮らしていた歴史や文化を背負った新潟や東京では、見たことがなかった重量感のない爽やかさを知った。明るい空と雪の大地に置かれた住宅群に影がなかったせいか、暗闇をもたない、透明で自由な解放感を覚えたように思う。広い雪原に小さな家が建ち並ぶ未来型の姿から、「なんでもできるような自信を持って、後ろを振り返らず、先だけ見るんだ!」と言われた気がしたので、そのまま、この積雪寒冷の北海道に居続け、離れられないでいるように思う。