再見「ロングランエッセイ」の+と-

66:「 ワイゼンホーフジードルンク 」  住宅雑誌リプラン81号(2008年8月26日)より一部転載

 近代建築の三大巨匠といわれるル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエには、その原点とも言うべき住宅がある。コルビュジエはサヴォア邸、ライトは落水荘、ミースはファンズワース邸、それぞれの感性の結晶と呼ぶのにふさわしい名建築を建てている。
 それに先立ち一九二七年にドイツのシュツットガルトで、コルビュジエやミースを含む十六人の建築家が参加して、建て売りの住宅展示会を開催している。それまでの「装飾的な生活様式を変えよう」というキャッチフレーズを掲げ、六月二十三日から十月三十日までの間に、約五十万人が訪れたという。
 近代建築を嫌ったヒットラー政権から、九十年も経った今、改修したり、老朽化した建物を建設当初の姿に戻そうとしているというので、ワイゼンホーフジードルンクを訪れた。
 初めて見たときは「なんだ、思ったより普通じゃないか」と思ったが、九十年前に建てられながら、現代の目でまったく違和感のないことを考えるうちに「やっぱり巨匠だ」と実感させられた。九十年前の優れた建物を設計当初の姿に復元して、その建築的価値を残そうとするドイツの人たちを羨ましいと思った。札幌では、一昨年辺りから市内の魅力的な住宅が次々と壊され、いっそう悔しいと思った。
 

+: 40年近く前に北海道工業大学(現北海道科学大学)の学生達と円山地区に残る魅力的な住宅を調査し、住宅建築(1982年12月)に「北国の住まいー風化した洋風の名残りー」として掲載させてもらった。二十軒ぐらいとそれぞれの特徴的な意匠の詳細を載せてるが、その時すでに30年近く経っているものを多かったので、ほとんどが無くなっている。唯一残っているのが、建築家田上義也の設計した北海道銀行頭取の住宅である。藻岩山の麓に移築され、菓子製造会社が、店舗として活用され、私たちも内地の建築家が来道した時には必ず、北海道で独立した建築家として、孤軍奮闘した田上義也の住宅、フランク・ロイド・ライトの影響が滲み出る詳細な意匠を楽しんでいた。しかし、その後、釣り道具を商う会社が運用するようになり、2階にわずかな喫茶スペースを残すだけになった。田上義也の雰囲気を感じられるくらいになってしまったのは、残念である。
 「札幌の街は、詩人が住むに相応しい。」と石川啄木が謳った街は、どこに行ったんだろう。