再見「ロングランエッセイ」の+と-

6:「 空 間 」  住宅雑誌リプラン20号(平成5年7月1日)より一部転載

当時、海の色が変わるほどにニシンが群来たので「千石場所」と呼ばれた鬼鹿の海岸に、花田家番屋が建っている。
この木造の倉庫のような番屋の中に、なんと300畳もの広さの大空間があり、土間に入ると、壮大な吹き抜けを持つ空間が広がっている。その広い空間の真ん中に72畳ほどの板の間があり、まわりには、L型に三段構えのひな壇状の板の間が造られている。ひな壇状の空間構成・ひと抱えもある四本柱・吹き抜けの小屋組の楽しさなどが組み合わさった魅力的な空間である。中央の板の間を舞台にすれば、周囲のひな壇状のところが客席になって、この番屋空間は、たちまち素晴らしい劇場空間になる。
ニシン漁華やかな頃、ここには200人もの人達が寝起きをして、ニシンが来ると昼夜を問わず働き通しだったという。中央の板の間は漁夫たちが食事したりするところで、ひな壇になった板の間は、漁夫たちがメザシのように並んで寝るための寝床であった。
花田家番屋は、ニシンを取ることだけを考えて造られた空間だが、時間と機能を越え、わたしたちを魅了する力を持っている。魅力的に造られた空間が、時間の経過や機能性の喪失すら乗り越えて生き残り、訪れる人に感動を与えられることは、建築家にとって、かけがえのない目標であり、夢でさえある。
:しばらくぶりに訪れて、広い舞台のような板の間やひな壇のような寝床を歩きまわって、漁夫たち(ヤン衆)のざわめきを思った。ニシンの時に、各地から集まる見知らぬヤン衆のために、顔合わせの宴会(あご合わせ)と終いの宴会(あご分かれ)をやって、給料をもらうと、それぞれの地へ別れたという。その時の活気や思いが、あちこちに浸み込んでいるような気がしたが、この劇場のようなニシン番屋で、「石狩挽歌」を男声合唱で聞いてみたいと思った。