再見「ロングランエッセイ」の+と-

37:「 森の教会 」  住宅雑誌リプラン52号(2001年4月1日)より一部転載

二月のストックホルムは、日暮れが早い。日の暮れるのが早いということは、日の昇るのが遅く、八時でも明け切らない。背の高い松の森のなかに埋もれるように造られた、珠玉のように美しい小さな教会は、薄日が射しはじめた九時半ごろになって、ようやくはっきり見えるようになった。
薄暗い松林の木立のなかで、すっと立つ十二本の白い柱は美しく印象的であると同時に、そこには、無垢の精神、無垢の意志というものを強く感じた。さらに、低い天井の柱のポーチを抜けて扉を開けると、そこには、何の飾りもないドームの天井をもった、ただ静謐さにあふれた広がりがあった。その静謐さのなか、包まれるようにして居ると、まるで紙を透くように、無垢な気持ちがますます漂白されていくようであった。やはり思ったとおり、優れた建築であった。
建築が好きそうな若者とその恋人らしい二人連れが、この八十年も前に建てられた木造の小さな教会を丹念に見ていた。こういう人がいれば、この小さな美しい教会は永く愛され続け、遺っていくに違いない。建築は、それのもつ魅力でこそ生き続ける、という手本を見た気がした。

+:北欧の森のなかに建てられた二つの礼拝堂を見たことがある。二十年前にアスプルンドの森の教会を見て、三年前にブリュッグマンの復活礼拝堂を見た。どちらも、緊張感をもたらすものが無いが、白く塗られた壁や天井の醸しだす清涼感のなか居ると、次第に心が澄んでくる感じや、時間の進む速さがゆっくりになる感じが、同じだった。一つは小さく、可愛いと言える天井が円空になったもので、もう一つは、二層吹き抜けの高さはあるが、森に向かって低い窓が横に広がっているものだが、どちらも内省的な雰囲気である。憂鬱さにつながるものはなく、風が抜けるような爽快感に包まれる感じがあるが、北欧の土地の持つ風土の空気感なのだろうかと思う。
写真家マイケル・ケンナが撮った「hokkaido」の世界に通ずるような気もするので、北海道にあっても良さそう空気感であり、空間である。