再見「ロングランエッセイ」の+と-

41:「 ろうそく 」  住宅雑誌リプラン56号(2002年4月1日)より一部転載

 デンマークではどこの家でも、お客をもてなす時には、とっておきのろうそくを燈すと言う。ろうそくの明るさのなかで、顔を近づけながら話すことが、親密感を高めるからに違いない。確かに、デンマークのレストランでは、どこでも十ワットから二十ワットくらいの電球しか使っていない。当然一つだけでは足りないので、部屋のなかにいくつもの光のかたまりとそれを囲む人の輪が、あちこちにできる。そこでは、声の大きさも高さも自然に控えめになり、落ち着いた時間が流れることになる。そのためか、北欧の照明器具は心を込めて造られていて、どれも優しい表情を持っている。
 デンマーク第二の都市オーフスでは、レストランのような優しさのあふれる市議会場に出会った。いくつもの、柔らかで優しい明るさの照明が、天井からふんわりと浮いたように漂っていた。壁にも同じデザインの照明があって、いっそう優しい雰囲気を高めているので、ここでは、喧喧諤諤の議論ができないのではないか…と思うほどである。
 丸く並べられた議席は互いの顔を見ることができるので、討論より相談という姿勢が生まれそうである。  日本の議会場も、こんなふうに造れないものだろうか。

+: ろうそくの役目は、まわりを明るくするだけでなく、明るさと暗さを同時に造り出すところにある。誕生日祝いのケーキにろうそくを灯して、さあ、これからバースデイの歌を歌おうと、部屋の照明を落とすと、ちいさな灯りがクローズアップされ、その揺らぐ姿に盛りあがる。周りの暗さが、深ければ深いほど、灯りの明るさが際立ってくる。ろうそくは、明るいところを造ると同時に暗い造ることで、はじめて、みんなの気持ちを集中させることができる。
 ろうそくも灯さずに、暗くもせず、明るいままで歌われるバースデイ・ソングには、奥行きが感じられず、陰影のない、平板な、お世辞だけのお祝いのように思えるのは、私だけだろうか。
 星新一の話に、「明るくなりすぎた世界になった時、世界的新製品として、明るいなかでも、一部だけ暗くできるする照明器具が、売りに出された!。」というのがあるが、期待したい。