再見「ロングランエッセイ」の+と-

51:「 焼失 」  住宅雑誌リプラン66号(2004年10月1日)より一部転載

 牛飼いの家の朝は早く、暗いうちから牛の乳を洗い、乳絞りの準備をする。その日も一仕事終えた親父さんは、朝酌を済ませて玄関脇の和室で眠った。煙いので、タバコの消し忘れかと思って目を覚ましたら、すでに一面の煙。居間側の引き戸を開けたら、ものすごい熱の空気が吹き込んできて「火事だ」とようやく気がついた。居間に逃げるわけにもいかず、床の高さについていた下地窓を外の格子もろとも蹴破って、家の外へ脱出したという。一階七十坪、二階三十坪、合計百坪の大きな木造の牛飼いの家は、家の真ん中にあった吹き抜けを煙突のようにして、大きな炎を立ち上げると瞬く間に焼け落ちたという。牛舎にいた奥さんも燃え上がってから気がついたという。
 二十年近く前に「自然に逆らわないような家を」といわれて造ったものである。「折角造ってもらった家を燃やしちまって申し訳ない。家に使った材料が本物ばかりだったので、煙でやられることも無くて、ほんとに助かった。無駄だと思った下地窓も、逃げるのに役に立ったしさ。命があるのも先生のお蔭さ」といわれて、恐縮した。
 あまりの炎の勢いに、交差点の向こうの農家に火が移らないかと、心配したという。プレハブの仮設の小屋で寝起きしているが、あっという間のことで、なんにも持ち出すことができず、大きな仏壇から家財道具のほとんどを焼いてしまい、眼鏡や入れ歯の果てまで燃えてしまった。寝巻きのほかに着るものが無い。千歳の冬は厳しいから、年内に引っ越せるようにしてくれという。今度は、もっと小さい家にしようと勧めるが、なんだかんだでほとんど同じ大きさになってしまった。しかし、古い基礎をそのまま使ったりして、お盆明けには上棟式ができたので、正月は新しい家で迎えられそうである。これができるのも、二十年にわたって、きちんと十分な保険をかけ続けていてくれたお陰である。  保険のありがたさと、まさかのことの重大さを実感した。

+:  この親父さんには、思いもよらない視点を教えてもらった。普通の酪農家は、農協に依存するけれども、彼は、自分の路線を進んでいたせいか、独自の見解を持っていた。車を運転しながら、新しく建てられた農家の家を見て、「ほら、あの農家は、きっと跡継ぎいないよ。」「嫁さんか息子に気使って、町場(街に建つ)の家に憧れてるから、あんな家つくるのさ。農家の毎日の暮らし考えたら、あんな家造れないべ!もっと、自信持ってなきゃな!」「仕事している間、ずーと長靴はいていて、飯食ってあとも、また長靴だぞ!」
「酪農で一番大事なのは、牛舎のお湯だ!」搾乳のために、牛の乳房をきれいに洗うためのお湯が必要だからである。住んでいた家の風呂は、冬になると浴槽全部が氷塊になっていて、春まで解けないので、車で銭湯に行っていた。
寒い冬の朝、家族は、起きるとすぐ牛舎に行き、牛用のお湯で顔を洗い、牛の体にくっついて温まったという。玄関なんかなくてもいいくらいの勢いだったが、それに負けない、ずっと大きな土間の勝手口を造って、そこにブリキ製のストーブを置いたら、親父さん「こんなもんだな。」といってもらったが、こういう自信たっぷりの農家住宅をもっと作りたかった。