再見「ロングランエッセイ」の+と-

16:「  雪景色  」  住宅雑誌リプラン31号(1996年1月1日)より一部転載

雪が降ると、屋根から落ちてくる雪の心配をしたり、樹木の雪囲いが面倒だったり、除雪が大変だったり車が渋滞したりするので嫌な顔をする人が多い。しかし私は、雪が降ると雪とのつき合いを覚悟するせいであろうか、腰が据わって心が落ち着くので嫌いではない。確かに除雪や渋滞は、メンドウ迷惑であるが、雪が降った時の方が車の運転も慎重になるし、埋まった車にも優しくなれる。
もっと嬉しいのは、雪が積もると静かになることである。雪の中では、車や電車の騒音も雪に吸い込まれて、街のなかも静かになる。なかでも、雪のなかを走る汽車は、線路の間に積もった雪で走行音が消されてしまうので、静かに、まるで汽車がスケートを履いたように滑らかに走る。そのうえ車窓から見える山も、丘も、森も街も一面真っ白な雪景色となって、シンと静まり返っている景色は映画のシーンのようである。
雪一面の景色は、それまでのいろんな色に塗られた、ゴタゴタしたものをすべて真っ白にしてしまうので、すっきりしてしまう。まるでまっさらの紙のようになり、新規巻き直し、一からやり直しの気分になれるので面倒な暮らしのことを離れ、心が爽やかになる。 朝カーテンを開けて、降り積もったばかりの純白の景色を見る瞬間は、誰もが新規巻き直し、一からの出直しの新鮮な気分になるはずである。時が経つと暮らしに戻されて、雪掻きなどを考えて眉をひそめるが、あの新鮮な感性をもっと大事にしたいものである。
暮らしやすさと、便利さばかりに捉とらわれずに、静かさと落ち着いた心を育てるものとしての雪景色、雪漫々たる風景を楽しみたいものである。

:かつて木造2階建ての屋根の上に、6畳ぐらいの雪見の部屋を造った。2階の廊下の隅から、よじ登るような階段を上り、茶室のにじり口みたいな引戸を開けると、三方が硝子張りの別世界が広がる。閉じている茶室と違って、雪の降る頃は雪に埋まっているようで心に雪が沁みいるようである。月あかりの庭などは、いっそう沁みわたるようで心落ち着く。この家で少女期を過ごした娘たちが、「勉強やなんやかんやで煮詰まったときは、夜遅くこっそり一人で登ってきてボーっとしていたことあるよ。」と言われたが、家のなかに逃げ込めるところ、ホッとするところが必要なのである。
どこもかしこも、明るく爽やかで楽しく、喜びにあふれているばかりでは、きつい。家族の怒りや哀しみを受け止めてくれる空間こそ、大切なのだと思う。