再見「ロングランエッセイ」の+と-

32:「 味わい 」  住宅雑誌リプラン47号(2000年1月1日)より一部転載

近ごろは、どんな雑誌にも美味しいといわれる店の紹介がある。食い意地の張ってるわたしは、美味しそうな写真につられて行ってみるが、結構、騙されている。もともと写真ごときもので、奥の深い味わい、玄妙な味覚を読みとろうとしたのが間違いであった。食い物の美味そうな写真に限らず、何においても、巧く撮られた写真や映像を信じすぎる。写真や映像というものは、いつも、実物を超えた、こうあって欲しい姿にまで練り上げた虚像だということを忘れてしまうから、ころりと騙される。
肌ざわりを確かめるために、見本を送ってもらったり、実物に触りに出掛けたりしているが、このように肌ざわりを大事にして造られた住まいには、独自の、何とも言えぬ玄妙な味わいが、生まれてくる。
写真では、食い物の命である味が分からないように、住まいの持つ味わいも、写真や映像で、理解できるものではなく、実際に手で触れ、肌ざわりを確かめて、その中に入って始めて分かるものである。

+:札幌中心部の晴れやかな夜景が見えるわけではなく、「夜景が見える住宅街が、見えるところ」に建った家をつくったことがある。引っ越してから、奥さんが「新しい家になってから、帰宅が早くなって、夕飯の支度が大変なんです。」と云われた。中心部の晴れやかな夜景が見えるわけは無いので、どうしてだろうと訊くと「食堂からは、街の方を向いた斜面に連なる家々が見える。夕暮れになって、次第に辺りがぼんやりしてくると、いっせいにではなく、ポツンポツンと灯りが灯っていくという。夕暮れの明るさの落ちていくのに合わせて、灯りは明るくなってゆくし、その数が、とびとびに増えていくのは、蛍の光が増えていくようで、楽しいから。」と云われた。
家造りの打ち合わせの時には、包丁の仕舞方を丁寧に相談していたように思ったので、そんな繊細な感性をお持ちとは気が付かなかったが、新しい楽しみ方を見付けてくれた。住んでから、思いもよらぬ楽しみ方、こちらが予想もできない魅力的な暮らし方を教えてもらうのは、大変嬉しい。家からの夕暮れの周りの風景の移り変わりを読み込もうと覚悟したのである。