再見「ロングランエッセイ」の+と-

18:「 草 庵 」  住宅雑誌リプラン33号(1996年7月1日)より一部転載

今年は5月も末になって、ようやく暖かくなった。タランボの芽やウドの天ぷらが美味しい。他にフキノトウやタンポポも食べるが、イタドリを食べる人がいるとは知らなかった。
私はイタドリを、食べる代わりに建築材料として天井に使ってみた。イタドリは夏には人の背丈を越え、晩秋には赤茶けた色になって和室の造作に使う煤竹によく似てくる。煤竹は合掌造りの家の小屋裏に使われていた竹が、下の囲炉裏の煙で長い時間燻されてできたものである。今では本物がほとんど無く、竹に煤を付けたようなものを売っているが、少しも趣がない。
北海道の和室を、内地のものを使わないで造りたいと考え思い出したのが、煤竹もどきのイタドリであった。河原でイタドリを二百本近くも採ってきて乾燥させた。初めて、この天井を見た人は、枯れたイタドリの茎が並んでいるとは思わない。これは草なんだぞ、イタドリなんだぞ、と一人密かに、ほくそ笑む。
その草の天井を見て、圧迫感のないことに気がついた。思えば土壁も木も襖も障子も、押せば壊れる弱さをもっているので、中に居る人を圧迫しないので、居心地が良い。狭い茶室も居心地が良い。近頃は、床や天井の材料が、すっかり硬いものになって、押しても壊れるどころか、こっちが傷つくぐらい圧迫感が強くて、居心地が悪い。

+:「ゆらく草庵」というホテルの建築にかかわった。建物は、昨年中に出来あがったが、開業は秋だという。「草庵」という名称が気に入って、楽しみながら仕事ができた。北海道の素材だけで造りたいと思ったが、なかなかうまくいかず、そのかわり土の壁を使った。腕の良い左官屋さんが、こんなのどうだろうと土壁に数本の細い笹竹を埋め込んだものを見せてくれた。笹竹のしなやかさと柔らかなリズムに魅せられて、竹は北海道に自生しないが、使ってみることにした。角が取れた感じで、柔らかな、落ち着いた、優しい風情が出てきた。玄関の扉、間仕切りの格子、天井の見切りなどに使った。使い慣れてきたが、たった二、三年で上手くなるわけがない。このシリーズが続いて、竹を使い込んでみたいと思った。