再見「ロングランエッセイ」の+と-

40:「 風景造り 」  住宅雑誌リプラン55号(2002年1月1日)より一部転載

 紅葉もすっかり落ちて、見通しの良くなった踏み分け道を昇り降りして、小さな流れに出た。五分もさかのぼれば湧き水のところがあるという流れは、澄んで爽やかで、秋の陽を受けた牧場が丘の麓まで遠く広がっていた。同行者は、これは隣の人のものですが、借景に良いと言う。風景は自然に出来たものだから、誰でも自由に借りられると思うのは誤りである。この優雅な風景を造っている牧場も、これまでの長い時間、知らず知らずに手をかけてきたから、今の美しさにたどり着いたに違いない。北海道の特徴と言われる牧場風景は、どれも自然のままに放置していて出来たのではなく、どれもが、時間をかけ手間をかけて、ようやく美しくなってきたものである。
 英国の田舎に広がる穏やかで牧歌的な風景も、領主が城からの眺めを元にして、丘を変え、林を動かし、畑を動かし、時間をかけて造り上げた壮大な造園工事の結果である。庭園計画をはるかに超えるスケールを持った、いわゆるランドスケープデザインというやつである。
 やはり、五十年ぐらい経ったときに借景に利用されるようなものを造る気概を持つことが、今、必要ではないだろうか。

+:六十年近く前、内地から初めて北海道に来て「日本離れした景色だと。」思わずスケッチブックに書き留めた景色がある。まわりがずっと平らだったから、篠路あたりだと思うが、遠目に小ぶりの三角屋根の住宅が、規則正しく、赤と青の塗られた屋根が、ひとかたまりになっていた。木造の細工の込んだ家や瓦屋根や茅葺や板壁や塗り壁に馴染んできた私は、驚いた。おもちゃ箱に入っていた三角屋根の家が、建てられているように見えたからだ。春の早くで緑も少なく、周りも平坦だったせいで、二、三十軒のひとかたまりだけが、ポツンと置かれているように見え、絵本で見る風景のように思え、新鮮な爽快さを感じた。
 今は、このように同じ三角屋根が連続する爽やかな街並みが、残っていない。あの街並みこそ、札幌に唯一、独自の街並みであって、ある時代の生活文化を象徴する、日本の他では決して生まれなかった北海道独特の景観遺産である。