再見「ロングランエッセイ」の+と-

13:「  雪見酒  」  住宅雑誌リプラン28号(平成7年4月1日)より一部転載

ぐんと冷え込んだ夜、粉雪の降りしきる国道を車で走った。遠目のライトをつけても、見通しは少しも良くならない。ライトに照らし出された粉雪が、次から次へとこちらに向かって走り来ては、走り去る。道路を走っているというよりも、雪の流れのなかを泳いでいるような感じさえする。かつてのんびりと助手席に乗せてもらっていた頃、この雪の河のような錯覚を美しいと思った。
車に乗っていなくとも、果てることのないように降りしきる雪の姿は美しい。町外れの人家の少なくなった道路に、ぽつんとともる街灯りのまわりで雪が舞い落ちる姿も、美しい。
まだ雪の降る前であったが、「この中庭で雪が舞う。それも中庭の風は渦を巻くように廻るので、粉雪はサラサラと、一層美しく舞い踊るでしょう。きっと、きれいですよ…」と造園家が冬を思いめぐらすように語った。
雪のしんしんと降りしきる夜、舞い降りる雪の姿を、じっと眺めていたいものである。月見酒よりも、このような雪見酒のほうが、北の国らしい酒の飲み方だ…。
雪が降り始めると途端に、陰欝になってしまった時代は過ぎたはずである。むしろ雪を積極的に楽しむことを考えてゆきたいものである。サッポロ雪まつりが、何もなかった札幌の冬を鮮やかに彩っているように、雪見酒が、冬の住まいや冬の暮らしを楽しく彩るに違いない。
雪を住まいの宿敵と思い込まずに、その魅力を活かす努力をすれば、もっと楽しい冬を過ごせそうである。

:中庭には、雪が積もる。雪見酒をするには2階でなければいけない。2階の居間からは、降りしきり、舞い踊る粉雪が楽しめる。中央区の伏見には、雪見酒のためにつくられたバーがある。山間の中腹に建てられた建物の3階にあり、店の東面と西面には大きな横長の硝子がはめられている。昼は東面から札幌の街が眺められ、夜は格子状に光る道路と街の灯が見える。この店がもっとも混むのは冬、それも吹雪の夜、暴風の時が良い。店内は最小限の明るさで、同席者の顔も定かではないほどだが、窓の外にはサーチライトのような灯があって、降りしきる雪が「舞い散り、舞い踊る」という風景であり、嵐のような時こそ美しい。吹き上げる風で、粉雪は下から舞い上がり乱舞する。これを眺めていると海の中に居るような錯覚を覚え、重力感を失い、(ただ)、粉雪の乱舞だけを見つめる。同行者の存在を忘れ、唯我独尊となり、無言である。店を出るときには、自分を見つめ直していることもあるから、下心があったとしても見せないほうがよいかもしれない。